happy new year ?の happy がなんとなく恥ずかしい。
あけましておめでとう も、おめでたくない人もいるだろうしな、とか、やっぱりほんのちょっと引っかかっている。
年が明けました。
ただの昨日の続きが、今日になって明日になって、毎日を生きています。
わたし雑貨店の当たり前の毎日に、光を与えてくれた皆様ありがとうございます。
昨年も、今年も、来年もその先も、何卒よろしくお願いいたします。
当たり前の毎日というのは、子供の頃には想像できなかったほどのパワーを使う。大人はみんな知っている。
新年からちょっとアレなんですけど、先日、父の命日でした。
わたしが「当たり前」を感じたのは、その父が亡くなる少し前のこと。
ナースステーション横の個室に移された、ほとんど夢うつつの父が、頭の中では元気に働いていた。
涙をこらえたわたしの横でニコニコと話す。
わたしが「当たり前」の維持が、どうやら難しそうだと理解した瞬間です。すなわち、大人になった瞬間。
当たり前が、幸せの正体だと知ってから大人が始まるんだろうけど、正直、父がそれをわかっていたかというと、わたしよりわかっていなかったかもしれないとさえ思う。
いや、かもしれないとかじゃなくて、絶対わかってなかったな。死人に口なしで、ごめんけど。
子供を産んでから尚更思い出すけど、父に理不尽に怒られた事だとか、父がいる居間の居心地の悪さだとか、すっごくむかついた事だとか、それからここには書けないような事も。
余談だけど、仏壇で手を合わす時も、ふとした瞬間、お空を見ながら父に語り掛けている時も、わたしは圧をかけている。「ちゃんと家族全員、なんかしらのパワーで守っとけよ!?」って。
母に対しても思う。あーーもう!育児へたかよ!!って。
自分が子供を産んで少しわかった。
わたしが幼い時、また父も母も幼かった。
若い夫婦が頑張っていたんだと思うと、なんだろう、、、的確な言葉がこれしか見つからないんですが、、いわゆる、、、
エモい・・・・?
どうやら子供が育っても、またそれはそれで、大変なことがたくさんあるみたい。
わたしが、夫が、わたし雑貨店が、もがいて生きているのも、また、父と母が通った道なんだろう。
そんな二人を追い越す確信があるけどね。
そんな2022年。
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